自殺できない人のための思想

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前回は、自殺したいが諸々の理由で自殺できない人、そんな人が生きるためにはどのような思想が必要なのか、というところまでお話しました。

人は、絶望して「自殺したい」と思ったときに自殺できれば、それはそれで手っ取り早く問題は解決するのですが、通常は諸々の理由で自殺できません。例えば、自殺するは痛くて苦しそうだからいやだ、とか、家族に迷惑がかかるのでなかなか実行できない、とか。
このように、この世の中ではなかなか思い通りに死なせてくれないので、なにがしか生きる糧が必要となります。
しかし、ここで対象としている人々は既に、生きる糧を獲得できなかったからこのような状態に陥ったわけなので、それからの人生を生き抜くだけのものがそう簡単には見つかるとは思えません。もし見つかったとしても、それは宗教だとか、マルチ商法だとかの「信じるものは救われる」式の思想に絡め取られるのが関の山でしょう。これまで、いろんな夢を信じて裏切られたにもかかわらず、同じ状況に陥るのです。

このような人々は、ここでこの流れを断ち切らなければなりません。では、どう断ち切ればいいのでしょう。

それは、「期待しない」という一点に尽きると思います。

人は、ついつい何かいいことが起きるのを期待してしまいます。例えば、ギャンブルや宝くじなどはその典型ですし、人が生きていられるのも今日より明日、明日よりも明後日はいい日になるだろう、という希望的観測を持っていられるからこそ生きていられるのです。
しかし、私が今話しているのはこれを捨てろ、ということです。これは非常に辛く、忍耐力がいることです。一度この思想を持とう、と決心したら死ぬまで続けなければなりません。なぜなら、希望を捨てた後に再び何かを期待しても、これまでの確率からいって期待通りになる可能性はほとんどないからです。そして期待した分、失望も深くなるのです。しかし、最初から期待しなければ失望することもないのです。

この思想を実践するには、元の木阿弥にならないように、次のことを頭に叩き込み、体得する必要があります。

期待する

↓(しかし)

期待しても期待通りにならない

↓(だから)

期待しない


なーんだ、当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、人間は弱いものでついつい何か期待してしまうものです。ですので、「期待しない」の状態にあるのに「期待する」の状態に戻ってしまわないことが肝心です。

このようにして、期待しないという半死状態を死ぬまで続け、静かに死んでいく、これは自殺できない人にとっての一つの道(暗くて長い道のりですが)ではないでしょうか。

しかし、みなさんはここで次のように思うかもしれません。
「長い間苦しむくらいなら、俺は自殺したほうがマシ」
「私はそれでも希望を持っていきるわ」
これと期待しない人生との比較については、また別の機会にしたいと思いますが、「期待しない人生」も一つの生き方である、ということは覚えておいてください。



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